I think so./I feel so.

漫画や映画など読んだもの・見たもの・聞いたもの・使ってみたものや普段の生活に関する感想文です。内容は一個人である私の思いつきに過ぎません。

『惡の華/押見修造』中学生編の考察

アニメ放送開始前に、『惡の華』中学生編について考えてみる

4月6日からTVアニメ『惡の華』が放送されます。アニメ版『惡の華』はだいぶ情報を絞ってストーリーやキャスト以外のネタバレを防ごうとしているみたいですね。おそらくコミックス1巻から7巻途中までの中学生編を1クールで描くであろうこのアニメの放送前に、中学生編を自分なりに考察し、読み解いてみたい。ちなみに現在進行形で別冊マガジンで連載されている『惡の華』は高校生になった春日を描く、高校生編です。こっちも面白いよ!
アニメに関する最新情報はオフィシャルサイトからどうぞ。
アニメ「惡の華」公式サイト
特殊な技法で描かれるそうで、こっちはこっちで楽しみです。毎週の予約録画は手配済みw

はじめに

これから書き述べる考察はあくまで私個人が『惡の華』を読んだり参考資料を読んだりしながら「どう感じた」「こう考えた」という、私なりの考察です。読み方や読み取り方において「これが正解だ!」というものを提示しているつもりはありません。解釈は読み手の数だけあります。ただ私がこう読んで面白く感じた、というものに過ぎないことを予めご承知おき頂きたく。尚、かなり壮大なネタバレとなりますのでご注意ください。


中学生編あらすじ

中学二年生の春日はふとしたはずみでクラスのマドンナ・佐伯の体操着を盗んでしまう。それを目撃した仲村に変態呼ばわりされ、盗んだことをばらさない代償として春日に「契約」を迫る。佐伯とのデートの末、春日は佐伯に告白し、佐伯もそれを受け入れるが、春日は次第に体操着を盗んだことを隠して佐伯と付き合うことに耐えられなくなり、仲村に相談する。ふたりは真夜中の教室に忍び込むと、春日は仲村の言葉に触発され、黒板に犯人は変態の自分であると書き殴る。互いに触発されるがまま教室を徹底的に荒らし、クソムシの海に変えた。佐伯やクラスメイトにばれることを覚悟しながら春日は登校するが、偶然にもクラスメイトにはばれなかった。自分の行為の重さに苦しむ春日は佐伯に別れを告げるが、教室を荒らしたのは春日であることに気づいた佐伯はそれでも別れないと言う。教室を荒らしたことは母親にもばれ、この町に自分の居場所がないと感じた春日は仲村に促されるまま、町を囲む山を越え「向こう側」を目指す。山を越える道の途中で雨に降られて休憩していると、ふたりを探しに来た佐伯が現れる。自分と一緒に戻るよう春日に懇願する佐伯と、行くのか戻るのかとっとと決めろと言う仲村。挟まれた春日は自分の空虚さを自覚し、自分に選ぶ権利など無いと叫ぶ。三人はその場で警察に保護され、町に連れ戻された。春日は改めて佐伯に別れを告げ、佐伯もそれを受け入れる。春日は仲村を救いたいと願うようになり、町の中にふたりの居場所「向こう側」を作れたら自分と契約するよう仲村に要求する。春日は佐伯以外の同級生女子全員のパンツを盗み、春日が作ったふたりの「向こう側」である河原の秘密基地にディスプレイし仲村に披露、仲村との再契約に成功する。ふたりは町の夏祭りをターゲットに、より大きなことをしでかして町のクソムシどもがいっぺんに目を覚ますようなことをしようと計画する。秘密基地に気づいた佐伯は春日と仲村の関係に嫉妬し、春日を取り戻そうと無理やりセックスするが、春日に拒絶される。佐伯は秘密基地に放火し、燃え盛る炎の前で仲村に春日とセックスしたことを告げる。仲村は激昂した佐伯を抱きしめると、佐伯は「くやしい」という本音をぶちまける。二日後、髪を切った佐伯が春日の自宅を訪問する。佐伯は「この世界はどこまで行ったって灰色」と告げ、警察に自首した。体操着、教室、パンツそれぞれの事件が明るみになり、春日一家は町を離れることを余儀なくされる。夏祭りの前の晩、バットを持った仲村が現れ、春日を連れ出す。向こう側なんてどこにもないのに、自分は消えてなくならないことに絶望した仲村は泣きながらバットで自分の頭を跡形もなくぶっ飛ばせ、それで契約は終わりと言うと、春日も泣きながら絶叫し、仲村を抱きしめる。ふたりはこれからの人生を捨てることを決め、夏祭りのTV中継が行われる櫓の上で灯油をかぶるが、仲村は春日を櫓から突き落とし「私はひとりで行く」と言う。ライターで自らに火をつける寸前で仲村の父が止めに入り、心中は失敗に終わった。



「変態」にとらわれてはいけない

まず私が述べたいのは、中学生編は『惡の華』という物語の「長い助走」であるということ。露悪的な事件の果てに心中未遂に到達する中学生編は、現在別冊マガジンで連載中されている高校生編の前提状況の説明に過ぎない。このことについては作者・押見は季刊エス2013年4月号「押見修造インタビュー」において、次のように述べている。

<聞き手>(略)六巻の展開を見ていると、中学生編で終わりなのかと思っていたんです。でも、それが全部過去になり、成就しないまま高校生になって格好悪い人生が続いていくんですよね。そこがすごいと思いました。
<押見>六巻までの展開だと、そこまでを描いた名作は、もういくらでもあるので、それを読めば良いと思うんですよ(笑)そうではなくて、その後を描くことが自分としてはやりたいことだったので。

中学生編で描かれるエキセントリックで衝動的で、露悪的な行為の数々は確かに私達読者を惹きつける。しかしその行為を描くことが物語の主題では無いことを意識して読み進める必要がある。
同じく最初の事件である体操着泥棒と密接に結び付けられた「変態」というキーワードも、体操着泥棒やパンツ泥棒といった行為を、性的な異常さと結びつけて表現するために用いられているのではありません。季刊エス2013年4月号のインタビューにおいて次のように述べられています。

<押見>だから春日は変態ではないんですよね。このマンガの誰も普通の意味での変態ではない。仲村さんも自分のボキャブラリーの中で「変態」という言葉は使っているけれど、それは作中の独特の定義で、別にパンツを盗んでいても性的な意味はあまりない。

更に作中における明確な変態の定義としては、コミックス1巻172Pに次のように記載されている。

変態という言葉には、理解できないものをワクの中に押し込めて安心しようという思惑が込められています。

性的な異常さを意味する一般的な用語としての「変態」と作中の「変態」は切り離して捉える必要があろう。


仲村の変態、春日の変態

私は、作中における変態、つまり<理解できないものをワクの中に押し込めて安心しよう>というのは、「理解できないもの」にとりあえず「変態」という名前をつけて安心しようという意味だと捉えています。体操着泥棒をした春日を仲村は目撃したが、体操着泥棒という行為そのものを変態と言っているわけではない。理由はよくわからないがそんなことをしてしまう、その衝動に変態という名前をつけたのです。コミックス1巻104Pにおいて自分でも分からない何かが体の下の方から湧き上がることを仲村は告白する。そしてその何かを仲村は「変態」と名付けている。理解のできないことをやった春日に対し、その衝動を自分が持つ衝動と同じく変態と認識した上で、作文に書け=言語化してこいと要求する。自分も分かっていないから、人の言葉で知ろうとします。春日の変態は仲村が自分という人間を自分自身が理解するための道具となったのです。
春日の奥底に眠る変態を引きずり出す(皮をむく)ため、更には自分自身を知るため、仲村は様々なことを春日に要求します。その要求の、まさに漫画的な愉快さとサディスティックさは作品を彩る魅力の一つですが、何度も言うようにそれそのものが作品の主題ではありません。


変態と対をなす、クソムシというキーワード

クソムシというキーワードは変態というキーワードの対をなしています。クソムシとは自分の中にあるはずの変態を隠す、いい子ちゃんの皮。コミックス2巻171~173Pの仲村の発言がクソムシの意味を明らかにします。

ゲロみたいな話で ゲロみたいに笑って クソみたく固まって群れて
誰が誰のこと好きだの 誰が誰のこと嫌いだの 死んだほうがましなカスども! まんじゅうどもと!
キレイごとばかり吐きやがって どいつもこいつも腹の中は!
せっくすせっくす!結局クソせっくすがしたいだけ!!!
つまんない つまんない つまんない つまんない つまんない つまんない
つまんない つまんない つまんない つまんない つまんない つまんない
いいあああーーーーーッッ!!!



クソムシの海事件

教室をクソムシの海にした事件は、自分の周りに対し上記の仲村発言のような不満を感じていた春日が、クラスメイト全員に対し罪の告白をすることで自分のかぶっている皮を捨てる事件です。教室への落書き一文字一文字が春日が脱ぎ捨てた皮の一枚一枚であり、その皮はクソムシそのもの。クソムシで教室を埋め尽くした、だからクソムシの海なのです。
クソムシの海とふたりを照らすパツンパツンにふくらんだ月。コミックス2巻184・185Pの見開きは作品中屈指の美しいページではないでしょうか。
教室をクソムシの海にして家路につく二人の様子は遊び疲れて帰ってくる幼児のような表情で、なぜか手をつないでいます。おそらくお互いに無意識です。春日の方は手をつなぎ直された時におそらく手をつないでいた事に気づいたようですが、仲村は無意識のままです。これ以外にも仲村は無意識のまま何度も何度も春日の体に触れる。この無意識な接触は思春期男子には大変厄介なものです。
この事件により、春日はきれいな正しい人間として生きる「ふつうの人生」が終わることを悟ります*1


山の向こう側事件 変態vs町・第1ラウンド

クソムシの海事件は、たまたまクラスメイトには春日の犯行であることがばれなかった。しかし落書きの一つが佐伯にプレゼントしたボードレール悪の華」文庫本表紙イラストと同じだったことから、佐伯にはばれてしまう。春日は佐伯に別れを申し出るが佐伯は別れないと言う*2。体操着泥棒についても「嬉しい、男の子はそういうものだ」更には「仲村じゃなくて私に(春日の)頭の中をわからせて」と言う*3。手の届かない天使だったはずの佐伯が生身の人間として春日に迫ります。この辺りは仲村の「佐伯さんは春日くんとせっくすがしたいって*4」も前振りとして春日に効いています。天使はセックスなんてしないはずなのに、体操着泥棒は天使ならば罵倒し自分を忌み嫌うはずなのに!春日は混乱します。クソムシの海事件は母親にもばれ、家にも学校にも佐伯にも帰れない*5、もうこの町のどこにも居場所がないと感じた春日は思わず河原へ走る。河原では仲村が春日を待っていました。仲村は山の向こうへ行こうと春日を誘います。「これ以上ドブゲロな町にいる理由なんて何かある?*6」と。ふたりは自転車に乗り、向こう側を目指します。中学生編の後半部分を構成する、向こう側へ至る道程の始まりです。しかし、このスタートの時点で仲村は「向こう側」は無いのかもしれないという長年の思いを吐露します。向こう側なんて無く、世界はそこで終わっているのでは?と。コミックス3巻84Pから88Pまでのこのくだりで初めて春日が仲村に共感を示します。女子に腕を回されて若干舞い上がり気味にも見えるうぶな思春期少年・春日が真面目な表情で「分かる気がするよ…それ…」と。これを受けた仲村は「はっ」としたような表情を見せる。誰かの共感を得るのは初めてなのかもしれない、そんなことを感じさせる表情です。「旅」なんてカッコつけて言った(これはクソムシといっていい行為でしょう)途端に「クソ部品」呼ばわりになりますがw余計なことを言わずに「自転車こいでればいいんだよ どこまでももどこまでも ずーーっと」という仲村のセリフには、ちょっとほっこりしてしまいます。
春日は胴体に腕を回され舞い上がり、雨に濡れて透ける仲村のブラジャーや隣でころんと横になる様子にどぎまぎしますが、仲村はそんなことには気づきもしません。またも無意識。直接的な「性的なもの」にウズウズはしないが、向こう側を見ることにはウズウズしている仲村。
変態も悪くないと思い始める春日を追って、ついに佐伯が現れ、3人のどうしようもない噛みあわなさが露呈する事件が起こります*7。春日の心の中はどうなっているのか逃げずに教えてほしいと佐伯は懇願すると、仲村が春日に代わり「私は"向こう側"に行く、春日はそれについてくる」と答える。ふたりの関係性が理解できない佐伯は「仲村が好きなの?」と、「誰が誰のことを好きだの」系の、仲村の地雷を踏んでしまいます。仲村はこの時、佐伯は正真正銘のクソムシであると確信したと思います。ゴミデート、カス告白言いながら春日の服を剥ぎ取り、春日の変態を佐伯に見せつけます。この辺り、佐伯は「変態」の意味を取り違えているように見えます。本来の意味の変態として認識しているようです。
佐伯を理解するにおいては押見の季刊エス2013年4月号のインタビュー以下の発言を知っておくと分かりやすくなります。

<聞き手>(略)佐伯さんは、仲村さんとは逆の方向で「分かってる」ということなんでしょうね
<押見>そうですね。それは、あの町自体が象徴しているものとも同じだと思います。町を囲む山がお母さん的な存在。そこから先には行かなくていいわよ、という山……。佐伯さんはあの町の化身、山の化身というか。

町の化身である佐伯は、春日に一緒に帰ろうと言います。向こう側なんて無いし見る必要もない、世界はここまでしか無いことになっている、世間からはみ出すなよ、という町そのものからのメッセージです。それに対し、あっさり謝って元の鞘に収まりそうになる春日。それを見て仲村は春日も所詮この町の一部で単なるクソムシと断じます。ひとり向こう側へ行こうとする仲村を春日は止めますが、仲村の春日を見る目はクソムシを見るときの目になり、泣き落としで春日に迫る佐伯を見る目は心の底から呆れたような目になっています。その目に映るのはくだらないクソムシどものくだらない生活でしかないのです。


仲村の涙

頭を抱えて跪く春日に最後のチャンスを与えます。この時仲村が言った「私の魂をズグズグにしないで」とはどういう意味なのでしょうか?「春日は私と同じ変態ではなかったのか?さっき私の言ったことに共感してたじゃないか?お前は私についてくるんじゃなかったのか?それなのになんだ?結局おまえもまんじゅうどもと一緒かよ!」ということではないかと私は思います。
それに対し春日は「生身の佐伯に向きうのが怖い、罪を犯した自分は普通にはなれない、でも変態でもない、さらけ出せる中身もない最低なクソムシだから選べない」と泣きながら叫ぶのです。
行くのか戻るのかを決めろと言ったのに、選べないと答えるのは答えにならない。春日は行きもしないが戻りもしなかった。怒りと失望と、悲しみと。これが私の思う、仲村の涙の訳です。


仲村の怒り

向こう側へは行けず、補導されて連れ戻される3人。一見平穏な暮らしが戻ります。しかし仲村は前にもまして「腫れ物」のようになり、死人のような春日はわけの分からない表情で佐伯に改めて別れを告げ、佐伯もわけの分からない表情でそれを受け入れます。季刊エスのインタビューでこのシーンについて問われると

<押見>ああ、ここは改めて見ると笑ける表情してますね(笑)(略)こういう表情、好きなんですよ。何も見てない、みたいな顔。自分も中学生の頃とか、いつもこういう表情をしていた気がするんですよね。

と答えています。
このままひとりぼっちでどこにも行けずこの町で干からびて死ねばいい*8と思いつめる春日はその日の晩、仲村の夢を見て「勘違い」をしてしまいます。仲村は確かに山の事件で傷ついた。でも仲村は仲村が抱えた「生きづらさ」を誰かに頼って解消する、などということは全く意識していない。自分が生きづらい仲村の手助けをしようというのは的外れであり思い上がりであり、そのためにがんばって変態になる、というのは全く奇妙なひとりよがりである。
しかしこのひとりよがりな勘違いを原動力に、春日は復活します。クソムシ相手には徹底的に閉じてしまう仲村なので、激しい言葉で春日を拒絶しますが春日は「今度は僕と契約しよう このクソムシの海から…這い出す契約を…!*9」と一歩も引きません。しかしその奇妙な情熱やがて「やれるもんならやってみろよ」と仲村に言わしめます。


春日の契約、そして絶頂のパンツ小屋

春日は河原に「それがなくちゃ生きていけない、町の中の向こう側」たる秘密基地を作ります。入れ物である「秘密基地」を向こう側たらしめるにには「中身」が必要です。その中身とは?春日は佐伯を除くクラスの女子全員のパンツを中身にするという奇想天外な手を打ちます。悪いことを悪いことだと知りつつアクセルをべた踏みする春日は、「本」を必要ないものと認識します。中身を手に入れ秘密基地にディスプレイし、仲村を迎え入れた時、あれだけ愛していたボードレールの「悪の華」に火をつけ、灯りにします。仲村はなぜ佐伯のパンツだけを盗まなかったのか聞きます。「それが一番ひどいことだからだよ」この時春日はまた一枚皮を剥いたのでした。そして仲村も春日の行為に応えるように自分のパンツを悪の華の炎で燃やします。契約させてやるのは私、「わかったか?」と問う仲村、「うん!」と答える春日。ふたりとも完全なイキ顔です*10。全く性的な接触なしで、プラトニックに、純粋に、ふたりは結びついたのです。
春日は仲村をひとりにしない、クソムシの海から這い出す契約をしよう、仲村のために町の中に向こう側を作る、と言い、結果それを作り上た春日の情熱は、突き詰めれば実は仲村のためではなく自分のためである。仲村を利用することで「本当の馬鹿になる*11」、言い換えれば特別だと思える自分を再構築しようしているわけです。文庫の「悪の華」を燃やすことで「誰も知らないような本を読んで自分は特別だと思い込んでいた」古い自分を捨てる。その上で悪いことを悪いことだと知りつつそれを重ね、仲村と一緒に町の中でただひたすらまっすぐに向こう側を志向することで新しい特別な自分を作ろうとしているのです。そして仲村も春日が自分を利用することでそれを叶えようとしていることを知っている。「私のおかげだね*12
二人は夏祭りをターゲットに町の奴等がいっぺんに目が覚めるようなこと、ふたりの向こう側をぶちまけるようなことを放課後に、夏休みに入れば夜な夜な密会し、計画する。


佐伯の思い

佐伯は秘密基地で密会するふたりに、というより仲村に激しく嫉妬し、精神的にも肉体的にも春日が仲村に奪われてしまうと考え焦る。初めて本当の自分を見てくれた(と思っているのは佐伯だけ。春日が見ていたのは佐伯が親をはじめとする周りの人に押し付けられたイメージに過ぎない*13。好きなものは好きなんだと目を輝かせて言う春日によって、佐伯は「本当の自分らしきもの」を見つけただけ。佐伯の「本当の自分」は後に仲村が引きずり出すことになる)春日を失いたくない、ではどうすれば?佐伯の出した答えはセックス。この町の全てを山が行き止まりにするかのごとく取り囲んでいるように、セックスすることで、向こう側を志向する春日であろうとも、自分との結びつきを分かちがたいものとし、自分の中に取り込んでしまおうと考えます。春日の行先は行き止まり、向こう側なんてあるわけ無い、みんなセックスしてこの町で生きていくしかないんだよ、と言いながら無理やり春日とセックスします。春日はなんとか佐伯を突き放し「仲村が好きだ」と告げ、一旦はその場を去ります。


秘密基地焼失 変態vs町・第2ラウンド

春日に拒絶された佐伯は秘密基地に火をつけます。燃える秘密基地の前に立ち尽くす春日の前に仲村が現れます。更に佐伯が脚に血を滴らせながら現れ「春日としちゃった」と。佐伯は勝利宣言のつもりだったのでしょうが、仲村はいかにも全く興味無さげな、どーでも良さような表情を「作って」浮かべながら「やりたきゃ勝手にやれよ」と言い放ちます。セックスして勝ったと思いたい佐伯でしたが、思ったようにことは運ばず、激昂して仲村をビンタしたあと仲村に抱きしめられ「詰んで」しまいます。とうとう佐伯は本音をさらけ出したのです。「くやしい、くやしい、どうして私は仲村さんじゃないの?」と。好きだのなんだの、結局セックス以外で人と繋がろうとしないクソムシどもで構成されるこの町そのものといえる本性をさらした佐伯に仲村は「お前の中身は蝿よりただれてるよ おまえなんかに 死んでもわかってたまるか*14」と言い放ちます。


この先で全部死んでる

佐伯の試みは全て失敗したのかといえばそうではなく、仲村にも大きな爪痕を残します。仲村に向こう側なんてはじめから無いと思わしめ、この道は結局この先で全部死んでいる、という絶望を与えたのです。仲村はまた閉じてしまいます。


町の反撃

「町の中の向こう側」である秘密基地を失い、今度は仲村を救うことが自分の「向こう側」と思い定めます。しかし町側の人々は春日に罪を償え的なことを言い、春日を追い詰めます。悪を捕まえ罰する警察が現れ、父はちゃんとした罰を受けるべきと言い、仲村になりたい願望を具現化したような、なおかつ反省した風のアピール効果をもつショートカットになった佐伯は自首して罰を受けてと言い、クラスメイト木下は全部知ってる、全部バラしてやる、仲村とふたりで犯罪者の変態になればいい!と言います。この言葉通り木下は学校にチクリ、噂はあっという間に町に広がります。学校に呼び出され、問い詰められた春日は「自分だけの大切なもの(=向こう側)を見つけたかったから」と答えます。一連の事件は学校内で処理し、警察には伝えないという着地点が用意され、春日家も仲村家もそれぞれ引っ越すことが決まります。町の人々の無数の目が春日を責め立てます。


明日捨てようか、これからの人生全部

春日は自問自答します。「自分のしたことは何だったのか、佐伯も仲村も自分も誰も生かせず、この町で生きられなかった」と。自然に仲村を求めてしまう。そこに、バット片手に仲村が春日を迎えに来たのです。仲村は向こう側が無いと知ったことで、向こう側にその存在を期待していた「本当の自分」も無いと知り、自身を取り巻くどん詰まりを悟り死を意識します。もやもやを発散するための触媒である春日の皮を剥いて春日の変態を引き出し、それをきっかけに現れると期待した本当の自分、出てこようとしていると思っていた体の下の方の変態を開放しようとする。しかし結局出てこなかった。やっぱり向こう側なんて無いし、クソムシも変態も何も無い、生まれ変わったような新しい自分なんて結局無く、確実に存在しているのは認めたくない自分だけ、そいつだけが何をしても消えてくれない。だから春日に命令する。「私の脳みそぶっとばして グチョグチョのどろどろべちょべちょに あとかたもなく」。仲村の苦悩を知り、泣きながら絶叫する春日に抱きしめられて心中を持ちかけます。「明日捨てようか、これからの人生全部」「ついて来る?」仲村と契約を結んでいる春日にそれを拒む理由など無く、春日はここでもまた「うん」と答えます。


抱きしめられている時の仲村の手の形、不吉な満月

春日に仲村は抱きしめられていますが、手の形が変です。グーです。手のひらで春日の体に触れていないのです。普通恋するふたりが完全に分かり合えたようなシーンでは手のひらで春日の胸のあたりに触れていたり抱き合ったりして一体化というか同化しているような表現をすると思うのですが、コミックス6巻155~156Pの表現はそうではない。春日は同伴者であり、触媒であり、仲村が見ているのはあくまで自分であり、自分の存在理由を常に自分に求めている。それに対し春日が見ているのはあくまで仲村というか、仲村を想うことを存在理由とする自分。ふたりは何もわかりあえてなんていない。このあと春日が突き放されることを、仲村の手の形は、暗示しているように私は感じます。もう一つ、このくだりで気になるのは満月です。クソムシの海事件の時の満月はパツンパツンでふたりを祝福するかのように照らしていました。それに対し今回の満月もふたりを照らしているけれども、線も細くぼやっと描かれている。これも不幸な終わりを暗示しているような気がしてなりません。


夏祭りの心中未遂

ふたりは「結局自分たちも、自分を特別だと思いこんでいただけのクソムシ」ということを知りました。お前らとは根本的に違うなんて思い込んでたニセモノの変態として、お前らとは別の方向を向いていただけで実はお前らと同じだったクソムシとして、お前らクソムシの目がさめるようなクソムシらしい死に様見とけ!と心中を図りますが、土壇場で仲村は春日を突き飛ばし「ひとりで行く」。その仲村も仲村父に阻まれて死ねずに心中は未遂で終わります。そしてここから春日の何も成しえなかった無様な人生の苦悩が始まり、それをどうくぐり抜けて成長するのかを描く高校生編が幕を開けます。


春日・仲村・佐伯 三者三様の断絶

他者を理解しようとするというか、他者に依存して自己の相対化を図る春日・佐伯と、他者を利用して自己の発見と絶対化を図る仲村。春日と佐伯が見つめるのは近い他者で、仲村が見つめるのは距離感の分からない場所にある自分自身です*15。自分が空っぽであるが故に他人との関係性(恋愛など)そのものに拠り所/居場所を見つけたい(依存したい)春日・佐伯と、本当の自分を見つけ出し確立しようとする仲村では理解し合えるはずが無い。だから仲村は佐伯に「死んでもわかってたまるか」と言ったし、櫓の上で春日を突き放しました。佐伯の方は春日に生身の自分を見てもらえない。三人が三人とも違う種類の身勝手さで断絶しているのです。


中学生編のテーマ

春日・仲村は最終的に特別な自分なんてないことを思い知ります。ふたりはとっぴな行動、サディスティックな行動を通して最終的には変態もないし、向こう側もないし、自分は特別じゃないし、ということを徹底的に思い知ります。それを絶望してふたりは心中の道を選びます。この絶望と上記した断絶を物語の本筋である高校生編を描くための序章として描くことが、中学生編のテーマだと私は思います。
しかし中学生編それだけでも読み応えのある大変面白い物語であることも確かです。


まとめ

  • 変態という言葉にとらわれ惑わされると物語の主題を見誤る
  • 物語の主題は別冊マガジン連載中の高校生編にあり、中学生編は前提状況の説明
  • 佐伯は町や町を取り囲む山そのもの
  • 春日・仲村・佐伯の三人は三人ともわかりあえず、断絶している
  • 絶望と断絶が中学生編のテーマ


参考資料の紹介

コミックス『惡の華』以外で、読み解くために利用した参考資料は下記の通り。


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*1:コミックス3巻9Pのモノローグ

*2:コミックス3巻32・33P

*3:コミックス3巻59・60P

*4:コミックス2巻94・95P

*5:コミックス3巻72P

*6:コミックス3巻79P

*7:コミックス3巻113~171P

*8:コミックス4巻25P

*9:コミックス4巻111P

*10:コミックス4巻158~160P また、季刊エスのインタビューで押見はふたりのこの表情を「ああ、そこは絶頂(笑)」と答えています。

*11:コミックス5巻72P

*12:コミックス5巻27P

*13:コミックス3巻156P

*14:コミックス5巻166P

*15:コミックス4巻67Pの表情