I think so./I feel so.

漫画や映画など読んだもの・見たもの・聞いたもの・使ってみたものや普段の生活に関する感想文です。内容は一個人である私の思いつきに過ぎません。

別冊マガジン2014年2月号『惡の華/押見修造』第53話の感想

あの日の夕焼け、今日の夕焼け

本誌表紙は久しぶりに『惡の華』。かつての仲村さん、今の仲村さんが背中合わせ。
前回52話では、銚子の外川まで常磐さんと一緒に仲村さんを捜しに来た春日くん。食堂で3年ぶりの再会を果たしましたが。。。


別冊マガジン2014年2月号『惡の華押見修造』第53話のあらすじ

※ネタバレ注意
外川の海岸で、日が沈むのを眺める春日くんと常磐さん。食堂での再会にさかのぼる。

たどたどしくひさしぶりと返事を返す春日くんに、仲村さんは座れば?食べなよ、おいしいから、と促す。そのまま仲村さんは奥に引っ込んでしまう。

何かを言おうとする春日くんを、仲村さんのお母さんが遮る。よく来てくれたわね、佐和の母ですと挨拶し、

でもね
佐和をそっとしておいてほしいの

私と二人で今はとても穏やかだから、と。

春日くんははいと返事をするが、常磐さんが少しだけ話をさせて欲しいと頼み、立ち上がり店の奥に向かって、私は春日くんにあなたのことを聞いて、あなたに会いたくて来た、春日くんのことはどーでもいいことかもしれないけど、何でもいいから外で話ができない⁉︎と大声で呼びかける。すると仲村さんが戻ってきて、いいよ、海で待ってて、と言う。

海岸で、常磐さんは春日くんに言う。

中途半端にしないでよ
それが私一番嫌だから
後悔しないようにね

わかった、と答える春日くん。
仲村さんが現れる。春日くんが尋ねる。

あのあと…仲村さんは
どんな風に生きてきたの?

微笑みながら、忘れた、どーでもいいよと答える仲村さんは、沈む夕陽を指差して、見て、この町は海の中に日が沈む、そしてまたあっちの海から日が昇るという。

ずーっとずーーっと
ぐるぐる
ぐるぐる
キレイ…
でしょ?

春日くんは、わからない、と答え、仲村さんにこの空と夏祭りに向かう時に見てキレイと言った土手の夕焼け空は同じ?と聞き、こう問いかける。

あのとき
ぼくを突き飛ばしたのはなぜ?


桐生と外川、山と海

見渡す限りの水平線、東の海から昇る太陽は西の海に沈む。
この土地が桐生と決定的に違うのは、取り囲むものがそれぞれ山と海であること、山は向こう側を遮断して見えなくしているのに対し、海は向こう側が果てし無く広がるのが見えることです。
仲村さんには、ここから出せと叫び続けた自我を取り囲む、自分で作ってしまった壁がありました。桐生を取り囲む山はそれを象徴するものとして描かれており、つまり山々はコンプレックスや鬱屈してねじ曲がった自意識そのものです。それが高くそびえることで向こう側を見えないものにしていました。
それがこの外川には無い。仲村さんは遂に向こう側に到達したのです。同じ太陽が昇り沈む、同じ毎日同じ営みの繰り返しの中で、次第に仲村さんは山から解放されたのだと私は思います。
向こう側は確かに、何も無いと言っていい。ひたすら海が続いているだけ。でも、真っ暗なドロドロが死ぬほどぐちゃぐちゃなんてしていない。遮るもののないキレイな空がそこにはあったのです。
桐生での出来事や外川でどう生きてきたのかなんて仲村さんには「どーでもいい」というのは正直な感想だと思います。


どーでもよくない春日くん

しかし春日くんにしてみればそうはいかない。常磐さんと生きるために答え合わせをしなくてはならない、そう思って来たのです。地べたを這うようなその後の生活の中で、ようやく見つけた大事なものをこれからも守り通すために、過去を清算して自分の中で飲み込み消化し納得しなくてはならないのです。


なぜ二人はここまで違ってしまったか

夏祭りに向かう土手の上から同じ夕焼け空を見た春日くんと仲村さんですが、なぜここまで二人は違ってしまったのでしょうか?
そもそもこの二人は、同じものなど見ていませんでした。同じように向こう側を志向したにも関わらず、二人が決定的に違ってしまった瞬間があります。
夏祭りの櫓の上、まさに自分達に火をつけようかというその瞬間、二人は決定的に違っていたのです。この時、二人はそれぞれはっきりと別の景色を見ていました。


春日くんが見ていたもの

春日くんがあの時見ていたものは、山を越えるほど高く大きく肥大した自分の罪の意識である惡の華
町の全てのクソムシどもが見上げる櫓で、愛する女性とともに自死するという巨大な罪悪感は、春日くんに陶酔の涙さえ流させる。この女に、この罪悪感に殉じる悦びに打ち震え、春日くんは自身を炎が包むのを待ちます。
しかし…


仲村さんが見ていたもの

町を取り囲む山に阻まれ続け、徹底的に打ちのめされた二人は櫓の上で「向こう側は無い」と叫びました。ずっとどこまでも永遠に山に囲まれたこの町の中で生きて行くしかない。それが耐えられないから死ぬという選択でしたが、本当は仲村さんは死にたくない、生きたいと願っています。引き裂かれるような苦しみの中での選択である「死」、それを見つめている仲村さん。
にも関わらず!
隣の空っぽ人間はその選択に陶酔の涙を流している。


意味のない答え合わせ

この答え合わせ、既に向こう側へ到達した仲村さんに確認したところで何になる?と私は思います。答えそのものは春日くんも粗方わかってるのではと思いますし、裏切られたのは仲村さんであり、そのことを謝らなくてはならないのは春日くんです。親戚に謝ったように、木下さんに謝ったように。
春日くんが答え合わせを求めるのは、かつて自身と一体視していた仲村さんからいまだ離れられないためですが、仲村さんからすればもうどうでもいいことです。


「どーでもいい」の真意

仲村さんとしては、あの時あの夕焼けはキレイだったけど、今見るこの夕焼けもキレイだし、ぐるぐる回り続ける営みの中での出来事なんて小さなことで、だから「どーでもいい」し、もう春日くんのことも自分のことも桐生のことも赦しているのだと思います。


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惡の華(10) (講談社コミックス)

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電子書籍版も同時発売。便利だな。他の出版社もこうして欲しい。