特徴ある『惡の華』「手」の描かれ方
今回のエントリは当ブログのコミックス『惡の華/押見修造』春日くん家のテレビはなぜお笑い番組を写さなくなったのか? - I think so./I feel so.〜takashi_itoの読書感想文〜に頂戴したgtさんからのコメントからヒントを得てまとめました。gtさん、どうもありがとうございました。
gtさんがコメントして下さった通り、『惡の華』における「手」の描かれ方は確かに面白いです。この「手」の描かれ方について私なりに考えてみました。
- 作者: 押見修造
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2012/01/06
- メディア: コミック
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「グー」に握られている手
手が「グー」になっているシーンは春日くんや仲村さんの様子として作中何度か描かれますが、ほとんど全てのシーンで、上辺の共感を拒絶して身を固めているような感じが読んでいて思い浮かびます。
仲村さんの「グー」はコミックス6巻155〜156Pで描かれています。このシーンについては当ブログのエントリ『惡の華/押見修造』中学生編の考察 - I think so./I feel so.〜takashi_itoの読書感想文〜にも書きましたが、仲村さんは春日くんに縋っているわけではありません。春日くんに対する仲村さんのスタンスがこの「グー」で描かれています。
また、私はこのシーンでの仲村さんに、駄々をこねて身を硬くしながら泣く子供のような感じも見受けます。自分の要求要望が誰にも承認されない子供はどうしようもなくなってくると、その感情を、手をぎゅーと握りしめながらギャン泣きするという形で爆発させます。そんな様子をこのシーンの仲村さんから感じるのです。
佐伯さんの両手
作中で2回描かれる佐伯さんが春日の手を両手で包むシーンでは、佐伯さんが「町を取り囲む山」と同じ構造を持ち、春日くんを取り囲む母であろうとする意志が描かれていると思います。
コミックス2巻第11話全体で描かれる佐伯さんが春日くんの手を両手で包み隠し事を吐かせようとするシーンは「春日くんのことなら何でも受け容れてあげる」という母的な佐伯さんの心持ちを描いています。
コミックス8巻172〜175Pで描かれる佐伯さんが春日くんの握った拳を包み込み、そして離すシーン。こちらは佐伯さんが感じている「春日くんが常磐さんに抱くイメージ」を誤解であると拒絶してテーブルを叩いた春日くんの拳を、春日くんに対して中学の時から変わらぬ母的な存在として佐伯さんが包み込みながら、最後は「がっかりした」と言って3年間こだわり続けた春日くんの母的存在であることを止める(子離れする)という意思表示を「包んだ手を離す」という行為にのせて描いています。
握手の描かれ方
ここまで手に注目してきましたが、私は「握手」の描かれ方にも『惡の華』は特徴があるように感じます。
握手のシーンは佐伯さんと2回(コミックス2巻138P、コミックス4巻19P)、仲村さんと1回(コミックス2巻157P)、晃司くんと2回(コミックス8巻14P、第43話28P目)と複数回描かれています。本来握手は打ち解けるための行為ですが、仲村さんとの1回以外は全部逆の意味「拒絶」が描かれています。佐伯さんとの2回と晃司くんとの2回目の握手は春日くんからの両者に対する拒絶です。
佐伯さんとの1回目は春日くんが抱える佐伯さんへの罪悪感と「生身の佐伯さん」に対する漠然とした嫌悪が、ごまかし・偽りの握手で描かれます。
佐伯さんとの2回目は左手の握手ですが、母的な存在であろうとする佐伯さんからの「私のフィールドから逃げ出さないように」という警告が左手を差し出すという行為で、なおかつ握手するのは「逃げ出さなければ受け容れてあげるからね」というメッセージが込められています。しかし「山の向こう側」を常に志向する春日くんからすればそれは余計なお世話でしかなく、拒絶とさよならの意味を持つ握手となります。
晃司くんとの1回目は両者とも拒絶しています。晃司くんは「常磐さんにいいところを見せたいが、別に気を許しているわけじゃない」ことを手袋を取らないことで示し、春日くんは別に何か含むところはないようです。
晃司くんとの2回目は春日くんが白けたものを感じつつ握手しています。
仲村さんとの1回は「ようこそ、私の世界へ」という握手です。夜の学校に仲村さんに手を引かれて入るのを描くことで、仲村さんの内的世界に春日くんがついに入り込むことを描いています。