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漫画や映画など読んだもの・見たもの・聞いたもの・使ってみたものや普段の生活に関する感想文です。内容は一個人である私の思いつきに過ぎません。

コミックス『椿鬼/押切蓮介』全1巻と『ツバキ/押切蓮介』全3巻の感想

古い価値観を守る少女の寓話

惡の華』に新旧の価値観のせめぎ合いを見るエントリを書いたので、今回は古い価値観側に立って描かれる押切蓮介『椿鬼』『ツバキ』について書きたいと思います。
『ツバキ』はマタギの少女である椿鬼を描いたシリーズもので、掲載誌を変えながら『椿鬼』が全1巻、タイトル表記と出版社を変えた『ツバキ』は最終巻となる3巻が先日発売されました。
押切が得意としてきたホラー寄りの内容ですが、近代化や人の欲にまみれて失われゆく、尊敬し畏怖すべき「山」の価値観を描く物語です。


『椿鬼』『ツバキ』のあらすじ

マタギの少女・椿鬼は山の「色」を見ることができる。山には意志があり、その性格や状態により色が変わる。色によっては、山は人に仇をなすこともある。山は人に恵みを与え続けてきたが、近代化のなかで利己主義や私利私欲に走る人々からは山への尊敬は失われ、山を無惨に穢していく。山もまた、自らを守るために暴走し、人の命を奪っていく。亡くなった父の「山と人のために生きよ」という教えに従う椿鬼は、山と人の間に起きる、時に悲惨な争いをシロビレと呼ばれる村田銃での超絶狙撃や体術で鎮めていく。


問題は常に人にある

椿鬼が作中で語るように、山と人の諍いの原因、それは常に人にあります。物語の時代設定としては明治末期から昭和初め頃かと思いますが、西洋化によって価値観の転換が起こり、人々は山を始めとする自然に対する敬意がほぼ失われています。文明の力で完全に自然を破壊するというところまでは進んではおらず、一旦自然が猛威を振るえば科学技術ではまだ対抗し得ない、そんな時代を背景に物語は描かれます。
山から際限なく搾取しようとする人間に対して下される強烈なしっぺ返し。暴走し始めた山はもう元の穏やかな山に戻ることはなく、椿鬼はマタギとしての使命感(それはおっ父の教えにより椿鬼の行動原理となっている)により、原因を作った欲にまみれた者を除く善良な人々を助けるため、やむなく山の「意思の根を撃く(たたく)」のです。


山と人のために生きよ

しかしおっ父の教えが時に椿鬼を縛ります。山を撃き、人を助けたところで両者に対する本質的な救いになっていないことに椿鬼は苦悩します。
普通の女として生きる道もある、とおっ父は椿鬼に示します。人々に感動を与える仕事に触れ、それもまた素晴らしい価値観であることを理解しつつ、しかしそれでもおっ父と同じように古い時代の価値観「山と人を守る」という信念を椿鬼は曲げず、山で生きていく決意を固めて物語は一旦幕を閉じました。


迫力満点!押切蓮介のアクション描写が凄い!

『ツバキ』シリーズは猟奇的な行動に出る人の内面の闇や山の呪いの怖ろしさの描かれようも大変面白いのですが、ここぞの場面で繰り出されるシロビレによる狙撃、これがまたシビれる、カッコいい作品です。
銃弾を銃弾で叩き落とすシーンや山の根を撃つシーン、イタズの急所を狙うシーンなど、壮絶な迫力がページからどくんどくんと溢れてきます。そして刃物を用いた体術の爽快なスピード感たるや!このアクションを、むちむちのふとももを持つ美少女・椿鬼が繰り出すのです。これはたまらんですよ!
作者・押切蓮介が現在『ハイスコアガール』と並行して連載している『焰の眼』についても同じことが言えるのですが、アクション描写の躍動感が本当に素晴らしいのです。
漫画の絵はもちろん静止画で、出来事の中の一シーンを切り取ったものですが、そこで描かれる人物やものに、動きを感じさせるというのは大変難しいことだと思います。しかし押切の描くアクションシーンには、骨があって肉があって、その中には血が間違いなく流れていて、そして何よりも絵の中心になって描かれているこの人が明確な意思を持って動いていることがずばーんと、ずどーんと、衝撃と共に伝わってくるのです。
押切が緻密で綺麗な線で細かく細かく描きこめる漫画家だとは思いませんが、私の知る範囲では、こんなにたぎる、あふれる、情動的な線を描ける漫画家は今、他にいません。


もっとふとももが上手にかけるようになったら

第3巻あとがきによれば、押切は椿鬼を描くことを終えたような気は一切なく、ふとももが上手にかけるようになったら復活するそうです。新作が読める日が楽しみです。
今のむちむちのふとももも、いいんだけどねぇ〜w