I think so./I feel so.

漫画や映画など読んだもの・見たもの・聞いたもの・使ってみたものや普段の生活に関する感想文です。内容は一個人である私の思いつきに過ぎません。

コミックス『惡の華/押見修造』第9巻の感想

春日くんと常磐さんの心は解放されるのか?

8巻で描かれたのは他者から理解を得ることを諦めた常磐さんが抱える「カベ」、佐伯さんの登場によって更に勢いを増した春日くんの「どこにも逃げる場所のない閉塞感」。春日くんと常磐さん、引かれ合いつつも交われないふたりが抱えるそれぞれの苦しみが最新刊9巻ではどのように描かれるのでしょうか?

惡の華(9) (講談社コミックス)

惡の華(9) (講談社コミックス)


コミックス『惡の華押見修造』第9巻のあらすじ

※ネタバレ注意
佐伯さんに「がっかりした」と言われたショックで自閉する春日くんは常磐さんからの電話をシカトしてしまう。昼休みも人目につかない場所でひとり過ごそうとするが、春日くんの存在に気づかないリア充女子軍団が春日くんと常磐さんと彼氏の晃司くんに関するうわさ話をしている場面に遭遇してしまう。見つかってしまい、キモイキモイ言われているところに常磐さんが現れ、晃司くんとは仲直りしたという。
リア充軍団は去り、常磐さんとふたりきりに。電話に出なかったことを問われ、バタバタしてたと嘘をつく春日くんに常磐さんはいつも以上に目が死んでると言う。電話したのは小説が進まないからで、自分には才能がないとこぼす常磐さん。そんなことはない、面白いから絶対に!と春日くんは励ますが、常磐さんには響いていない。彼氏が春日くんに謝りたいからバイト先のカフェまできて欲しいって言ってる、でも行かなくていいよ、一応伝えただけと常磐さんが言う。春日くんは行くよ、逃げ続けたらいつまでたっても同じだからと答える。
カフェに行くふたり。晃司くんがごめんと頭を下げる。常磐さんと晃司くんの会話を聞かされる春日くん。春日くんと晃司くんは握手を交わし、仲直りする。常磐さんとふたりでカフェを出て、街を歩く。もうあのカフェのバイトはやめようと思ってたのに、私のこと、バカだと思う?と聞く常磐さんだが、春日くんは聞かれている言葉の意味がほとんど入っていない。その様子に何かあった、先週までと別人みたいと聞く常磐さん。小説の話を持ち出す春日くんだが、一人でがんばりたいからと常磐さんに拒絶される。バイバイと言って別れるが、春日くんは「常磐さん!」と呼びかける。振り向く常磐さん。言いたい言葉は、常磐さんが聞きたかった言葉は、春日くんは言えず、うつむきながら「何でもない」と言うのが精一杯だった。
クリスマスイブになり、友人たちの誘いを断った春日くんはひとり家に帰るが、自宅の明かりを見て帰るのをやめ、別の方向にふらふら歩き出し、常磐さんへメールを打ち始める。何度も書き直すうちに佐伯さんの「あの娘も不幸にするの?」という言葉が蘇る。違う、僕はあの小説に生きるための何かを見たんだと反論すると、今度は春日くんの足元から春日くんの影が話しかける。「それは勝手な思い込み。小説はなぐさめの道具。おまえは依存してきた、本に佐伯に仲村に。今度は常磐と小説に。」そうじゃないという春日くんに影は続ける。「何が違う?おまえはなぜ仲村に突きとばされたかわかってない。仲村はおまえと同じものなんて見てなかった、仲村の何も救えなかった、何もかも壊した、仲村も佐伯も父も母も、おまえがやったんだ!」
影はやがて桐生を取り囲む山のシルエットに変わり、ケータイの画面に春日くんが何度も打ち直してそれだけ残った言葉「僕は」が浮かび、影は「僕はなんだ?」と言いながら春日くんを嘲笑する。そうだ、自分はからっぽでクソムシの不幸のかたまり、それでも、それでも、と言葉を継ごうとする春日くんの背後に仲村さんが現れる。夏祭りで突き落とされた櫓の下から最後に見上げた、灯油で濡れた姿の仲村さん。泣きそうになる春日くんは、仲村さんに足がないことで、それが幽霊であることに気づく。
春日くんは常磐さんのプロット、幽霊殺人事件を思い出す。目の前に洋館が広がり、窓に誰かの影が映る。常磐さんとこれまで交わした様々な会話の断片が春日くんの脳裏を横切る。そして春日くんは洋館の窓から覗く常磐さんと自分の幽霊を見て、常磐さんも自分と同じようにひとりで思い悩み、自分の本当の思いを幽霊として閉じ込めていることを知る。「もうあのときの仲村さんはいない、永遠に…いるのは、どこかの世界にいるはずの、今の仲村さんなんだ!」春日くんは洋館が象徴している、自分を閉じ込めていた自分の心の檻である幽霊の世界から脱出することを決意します。「僕にはできない、一生幽霊の世界で生きていくなんて」ルドンの惡の華を握りつぶし、春日くんは常磐さんがバイトしているカフェに向かって走り出す。
カフェのドアを開けるなり常磐さんに向かって「好きだ、僕とつきあってくれ」と赤く上気した顔で春日くんは告白する。爆笑しながら割って入ろうとする晃司くんを意に介さず常磐さんの前に出る春日くん。手を差し出し「僕と生きてくれ。僕がきみの幽霊を殺す。きみが好きだ」と涙を流しながら春日くんは言う。いい加減にしろと言う晃司くんに常磐さんが「もう晃司とは付き合えない」と言う。常磐さんも泣いている。常磐さんはバイト先の制服を脱ぎ、コートを羽織って店長に「すいません。辞めさせてください」と言い、春日くんと向き合う。
春日くんと常磐さんはカフェを出る。言葉も交わさず街を歩く。同じタイミングで手を差し出し合い、繋ぐ。見つめ合い、笑い出し、抱き締め合う。「ああ、あったかい」という春日くんを常磐さんはバシッとはたく。
お正月休み、常磐さんの家を訪れる春日くん。常磐さんは小説を書き、春日くんは本を読む。穏やかな時間が流れる。散歩に出るふたり。歩道橋から夕焼けを眺めながら、常磐さんは「きれいだね」と言う。「うん、きれいだ」と返す春日くん。春日くんはこらえきれずに急に泣き出してしまう。「いいのかな?僕だけがこんな幸せで?」「何それ?私も、幸せなんだけど」その言葉を聞き、春日くんは微笑む。
家に帰ると両親は相変わらずもめていたらしく、お母さんは泣いている。いたたまれないお父さんは外出しようとするが春日くんは「お父さん!お母さん!」と呼びかけ「ただいま」と言う。両親は「おかえり」と返した。
春日くんと常磐さんの穏やかな日々は三学期になっても続く。春が近づき、校舎の屋上で小説や進路、春休みの過ごし方について会話をするなか、「春日くんの生まれたところが見てみたい」という常磐さん。春日くんは何もないからやめたほうがいいよと言う。常磐さんは「何があったの?中学のとき」と聞くが春日くんは「言わなくてもいいことだから。大したことじゃない」とはぐらかす。
自室でルドンの惡の華を握りつぶした右手を見つめる春日くん。掌には握りつぶした痕跡が生々しく浮かび、消える。引っかかるものがある春日くんは夕食時にお父さんから話しかけられてもぼんやりしてしまう。電話が鳴り、群馬のおじいちゃんが倒れて病院に運ばれ、危険な状態だという。両親は急ぎ群馬に行くことに。春日くんは話を聞きながら右の掌を見つめて「僕も行く」。事件から3年しかたっていないことを理由に両親はあの街に行くことに反対する。しかし春日くんは立ち上がり答える。「この傷がたとえ治っても、傷跡はなくならない。どこかで必ず向き合わなきゃいけなくなる。だから、行くよ」


幽霊の世界から脱出して、前を向く

自問自答の果てに仲村さんの幽霊、常磐さんのプロットに出てくる洋館の幻、そこに住まう幽霊の自分と常磐さんを見て、幽霊として生きることはできない、罪の意識に縛られてがんじがらめの状態を自ら脱した春日くん。その春日くんの告白と説得で常磐さんも自分で作って出られなくなった「カベ」を破ることができました。これからは春日くんの言葉にある通り、自身の傷跡と向き合う物語が別冊マガジンでの連載で始まっています(別冊マガジン2013年9月号『惡の華/押見修造』第48話の感想 - I think so./I feel so.〜takashi_itoの読書感想文〜)。


春日くんの自問自答のわかりにくそうな部分を整理する

影だったり洋館だったり仲村さんの幽霊や惡の華だったり常磐さんに告白しに行ったりと、流して読むとわかりにくいところがあるので私なりに整理したいと思います。

    • 春日くんは心の深い部分では仲村さんになぜ突き放されたか理解しているが、気づかないふりをしてきた。その深い部分か具現化したものがこの影。佐伯さんの言葉でむくむくと湧き上がった。
  • 洋館
    • ここに囚われてしまうと幽霊化する場所。本当の自分が行方不明になり、幽霊のように実体のないものにされてしまう。春日くんにとっては「あの時(3年前の夏)の仲村さん」への拘り。常磐さんにとっては、他者に本当の自分を知ってもらうことへの諦め。
  • 仲村さんの幽霊
    • 洋館の外で幽霊化している仲村さんは洋館に囚われてはいない。現在の仲村さんはもうすでにあの夏のことを吹っ切り、あの夏の気持ちはとっくに解き放たれて野良幽霊になった、とか、または春日くんが拘泥しているあの夏の日の仲村さんのイメージで作り上げた幻、ならいいな…私は正直なところ、仲村さんはあの夏のことに拘ったまま本物の幽霊になってしまったんじゃないかと思ったり。9巻146ページのおまけイラストを見ると、ますますそんな気がしてきます。
  • ルドンの惡の華
    • 春日くんが心に抱える罪悪感を具現化したもの。「惡の華」でルドンの惡の華(ややこしい)が描かれる時は春日くんの罪悪感がズクンズクンしている。
  • 常磐さんへの告白
    • 常磐さんに惹かれてもいるし、書こうとしている小説への興味もある。でも仲村さんとのいきさつがある以上、仲村さん以外の女性に惹かれるなんて許されないことだ、と勝手に気持ちにフタをした。そのために気持ちを無意識に小説への興味にだけに向けていた。仲村さんへの拘泥が消え、自分の心を自由にした時、自分は常磐さんのことが好きなんだと改めて気付いて、いてもたってもいられなくなり、走った。


神展開だった『惡の華』7〜9巻

春日くんの心が解放される過程が3巻にわたって描かれた高校生編。丹念に、丁寧に春日くんが感じる閉塞感や苦悩が描かれました。中学生編とは異なり、泥棒や心中などの派手な事件は何ひとつ起きません。ただひたすらに淡々と「死に損ないの幽霊」春日くんのどうしようもない腐った日々と、そんな腐った日々に差し込むかすかな光、それを春日くんが何とか掴み取る物語です。その過程にはわかりやすい漫画的痛快さがあるわけではありません。しかし、圧倒的なリアリティがあります。自分の心を解き放つことができれば、世界は暖かく、色彩に溢れて美しい。そのことが春日くんの苦難を通して描かれていると思います。高校生編は素晴らしく面白く感動的な物語だと思います。もちろんこの面白さは中学生編の前振りがあってこそです。

紙の質感も捨てがたいけど電子書籍版はかさばらなくていつでも読めてなかなかいいですよ。