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I think so./I feel so.

漫画や映画など読んだもの・見たもの・聞いたもの・使ってみたものや普段の生活に関する感想文です。内容は一個人である私の思いつきに過ぎません。

漂流ネットカフェ/押見修造

  • 書名:漂流ネットカフェ(1〜7巻)
  • 著者:押見修造

漂流ネットカフェ 1 (アクションコミックス)

漂流ネットカフェ 1 (アクションコミックス)

 

惡の華』から続く、押見修造熱はまだまだ醒める気配無しです。明日から休みなので、多少時間掛かっても全部読む!と意気込んで読み始めました。
どうなる?どうなる?とページをめくり続けてあっという間に全巻読み終えました。

アクション連載時も実はちょっと読んでたんですが、アクションは読む機会もなかなか無く、とびとびで何話か読んだだけだったので、ようやく全体像が掴めました。

読み終えて、なんで私は今、こんなに押見修造に引き込まれているのか、ちょっとわかった気がします。

 

 

「引きずり」と「やり直し」の物語

引きずってきた思い、というのは、いろんな種類があると思いますが、誰にでも多かれ少なかれあると思います。過ぎてしまったことは過ぎてしまったことであり、今この時を生きている私たちには、当たり前の話ですが取り返しがつきません。そんなことは分かっていても、私たちは事あるごとに「あの時に戻りたい」「あの時ああすれば、あるいは!」「あの時こうしていれば、今この時は違った人生かもしれなかった!」と考えます。

でも、もし、やり直しができたら・・・?

『漂流ネットカフェ』はそういう物語だと思います。

 

※以下、壮大にネタバレしているものと思われます。

 

あらすじ

主人公・土岐は主体性無く流されて生きてきた人生を後悔しています。平凡な日々の中、土岐には間もなく子供が生まれようとしています。このまま平々凡々と過ぎ行く自分の人生、いったいどこから輝きを失ってしまったのか?
そんな土岐にも輝ける季節はあったのです。まぶしい転校生・遠野果穂と過ごした中2の一時期。土岐の後悔の原点はここにあります。幼すぎて理解できなかった遠野の行動、大人になった今なら分かるのに、なんで俺はあの時・・・あそこで一歩踏み込めたら、俺の人生違ってたのに!なんてことを日々うだうだうだうだと考えます。
気晴らしにたまたま入ったネットカフェで、遠野とまさかの再会を果たしますが、店は異世界にぶっ飛ばされてしまいます。異世界で客として居合わせた18人と秩序無きサバイバル生活を土岐と遠野は強いられます。

 

引きずる思い

『漂流ネットカフェ』を読みながら、ずっと頭の中で流れ続けた曲があります。

 

『長い秘密』歌:ホフディラン 作詞:Yuhi Komiyama/作曲:Yuhi Komiyama


想い出はいつも僕の中に君を呼び出して
君はまた僕の中で懐かしい君を演じる
懐かしい景色は又僕を遠く呼び返して
気がつけばいつも君は胸の奥にスーっと消える

この手には何も今は掴んでないが
明日には気がついてる
誰も元へ戻れないんだ

夢だけならいつか僕達も目覚めた時に気付くだろう
今までの長い道 OH YEAH
夢の中はいつもその先の長い秘密を教えては眠りから覚ますだけ


想い出の中で僕はいつももがき泳いでる
忘れてる過去が今も僕の中に残ってる

この目には何も今は見えてないが
明日には気がついてる
僕は元へ戻れないんだ

夢だけならいつか僕達も目指した場所へ届くだろう
その先の長い道を超えて
夢の中はいつもこの僕に長い秘密を教えては眠りから覚ますだろう

夜が僕をそそのかして今夢の中へと呼び込む
朝が来るまで僕はこのまま君を待ち続けて
夜の終わり見届けるのさ

夢なんか今蹴って 僕達は産まれたままに動くのさ
この目が覚めるように OH YEAH
夢の中をいつも飛び出して君を迎えにもどるのさ
明日が見えるように

 


長い秘密 / ホフディラン

 

戻りたい、やり直したい。誰でもそう思います。でも!

明日には気がついてる
誰も元へ戻れないんだ

やり直しなんてできない。何も変わらない。受け入れて行くしか無い。
作者の押見にどんな「引きずる思い」があるのか、私は知りません。
しかし、7巻巻末に次のように記されています。

描き終えた今、長い間の思い出の檻から抜け出せた気分です。

この物語を描くことで、押見はつまり、自分の過去に見切りをつけたのです。
これは大勢の目に触れる、しかも作品として永遠に残る、漫画という手段を用いた決別の儀式です。

 

平々凡々と生きる私たちは、どうすりゃいいの?

押見は漫画家なので、こんなことができる訳です。私は押見がうらやましいです。それなりに長い時間を要したとはいえ、クリエイティブにアウトプットすることでスッキリ。折に触れて『長い秘密』を聴きながら、もう戻れないことなんて分かっていながら、やり直しなんてできねえよ、知ってるわそんなこと!でも!それでも!と私は思います。フツーに暮らしてフツーに死んでくフツー人たる私には決別の儀式なんて無い。でももう嫌という程分かってる。戻れない。分かってる!でも!でもさ!をぐるぐるぐるぐる回り続けて、私はそろそろ20年くらいになります。しかし長えな、おいw

 

押見に、『惡の華』に、『漂流ネットカフェ』に、『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』に私がひかれる理由

自分の中で消化できない思春期末期の思いだったり、もう間もなく子供が生まれることで親となる自分のこと。最近特に自分の歴史というか、何を選んできて、何を捨てて、何を残すのか、みたいなことを考えます。自分のことを考えるとき、何が自分を形作ってきたのかを考えるとき、もうそろそろ私を取り囲む、私が勝手に作ってしまった、自分でその強度を上げてしまった「思い出の檻」をぶち壊す時が近くあるような気がするのです。土岐のように、その「思い出の檻」こそが、過ぎた日の後悔を口実に自分の人生と正面から向き合わずに逃げる自分自身であることを受け入れる時。私が今押見にはまっているのは、そのきっかけを求めて押見作品に反応しているんじゃないかと思います。そういった意味で、いいタイミングで押見作品を読めていると思います。

 

最後に

最終回ですれ違う遠野と土岐。
遠野の方は土岐に何の思いも無いのかもしれない。
多分、私が囚われている対象も、私に対して別に何の思いも無いのかもしれない。
多分そんなもんだと思う。
自分が誰かのそんな対象になってたけど、自分は露知らず、なんてことも世の中にはあるはず。
私自身も、そりゃあわかっちゃいるんだけどねぇ。
長いことこじらせたんだから、せっかくだから向こうもそうあって欲しいよねえw

14年の土曜日

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